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2026/08/23(Sun)
ADMIN

ヘッドホンの中から、イチャイチャする音が聞こえた。白と黒の画面が、どうしてこうまでピンク色に見えるのか僕にはよく分からない。大きすぎるヘッドホンを両手で支えながら、四角の中の別世界で愛してるを呟く彼らを僕は眺める。
そう、別世界。これは僕らの世界にそっくりな偽物の世界。それが分かっているから楽しいし、悲しい。
僕はヘッドホンをそっと外して、机同士を区切る壁に取り付けられたフックにかける。それから貸し出しカウンターで居眠りしてるミズチの肩を叩いて、休憩するよ、と伝えた。寝ぼけ眼で頭をかくかくさせた彼の合図を了解と受け取って、僕は二階へ繋がる階段の一段目に足をかけた。

僕らの図書館は二階建て。一階は半分が雑誌、残りの半分が映像ライブラリーになっている。二階が一般図書。背の高い本棚が訳の分からない配列で並んでいて、図書館にあるまじき分かりづらさだ。だけどこのややこしい配列を喜々として受け入れる人もいる。そういう人は、迷路の壁のような本棚と本棚の隙間で、息を殺して潜んでいる。
僕は本棚の番号を確かめながら、一歩ずつ迷路を進んでいく。右、左、目に入るのは本ばかり。探しているのは人だ。でも、彼を見つけるためにはまず本を見つけなくちゃいけない。北側に、考古学についての本がびっしり並んだ棚がある。そこはこの迷路の中でも特に死角。そこに彼は潜んでいる。
「オーランシュ=ボスト史」を「フランス映画の墓掘り人」の向かい合わせに置くなんて、ミズチは狂ってる。この本がもし喋れたら、お互いのことずうっと批判しあってるに違いない。でも彼はその場所がお気に入りで、いつもそこにいた。僕がこっそり耳を澄ませたら、本の側から、イチャイチャする音が聞こえた。今度はヘッドホンはしてないよミズチ。これは映画史の本棚の間で行われる、映画みたいな密会だ。

僕は背中をぴったり本棚にくっつけて、隠れながら、それでも耳はすませていた。唇を重ねる音って言うのは、映画でも現実でも同じらしいね。さっきまで聞いてたから分かる、今も聞いてるし。なんてね。呆れ半分、好奇心半分、だ。
細めた目で、本棚の裏側の様子を覗う。本の隙間から、シルエットが二人分。それから見えるのは、向かい側の「ハリウッドマネー」って本のタイトル。面白そうだな。今度借りてみよう。
どんっ、と本棚が揺れて、僕は慌てて後ずさった。ここって図書館だよね? そう思った次の瞬間には女の子の吐息が聞こえて、ホコリの落ちる音は掻き消されてしまった。なんだかその声を聞いた瞬間に僕の好奇心は萎えてしまって、僕は小さくため息をつく。呆れ顔だったか、泣きそうな顔だったか、僕は自分の顔が見られないから分からない。とにかく僕は本の隙間からそれを覗いたのと同じように、本の隙間から小さく声をかけた、ハロー。突然全ての音が消える。
「そこのハリウッドマネーって本、取ってくれる?」
僕が間抜けな声を出せば、静かな図書室に、本棚の向こうから彼の長い長い溜息が響いた。

「鯉壱か」
「そこで誰と何してるの?」

すこし間を開けてから、秘密、と彼は言った。秘密か。ステキな響きだね。
図書館の死角に住む彼は、僕らの現実とはちょっと違う世界の生き物だ。どっちかっていうと、映画の中の、
そう、モンスターみたいな男だ。

「俺に用? 今忙しいんだけど」
「忙しいのは知ってる。ちょっと様子を見に来ただけだよ」
「知ってて様子を見にきたの? タチ悪いぜ」

モンスターを参らせる僕はもっと凶悪なモンスターになれるかも。かちかちと歯を鳴らしてみながら、僕は思う。様子を見にきただけだから、特に何か用があるわけじゃないんだ。ここに来れば、こういうことになるだろうって思っただけ。だからといって、ハチコは僕に、ここでこのまま黙って密事に聞き耳を立てさせてはくれない。ハチコがよくったって、鼻にかかったような甘い声で、そこにいる姿の見えない女の人がハチコの首に指を這わせるから。
ちゅ、と短い音が響いて、ハチコのうめき声と密やかな囁き声が本棚の裏に隠される。

「あとにして」
僕が背伸びして一生懸命覗いても、決して見ることができない場所を、彼は知っている。ほんの少しだけ空いた小さな隙間からじゃ、モンスターの悪事を隅から隅まで暴くことは出来ない。ハチコの右手が狭く見えていた僕の視界を急に遮って、まるでバイバイと別れを告げるように、あるいはあっちにいけと僕を追い払うみたいにして、手を振った。

結局僕は映画のワンシーンを覗き見ることしかできないんだね。こうやって覗いていることはできても、ハチコみたいな登場人物にはなれない。本棚の向こう、囁かれる声に聞き耳を立てながら、僕にとってそれが良いことなのか悪いことなのか、たぶんきっとどちらでもないんだろうなと、僕はぼんやり考えた。



2013/02/09(Sat)
ADMIN
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