小さい頃からプラネタリウムが嫌いだった。首を傾けて見上げても、見えるのはニセモノの空だからだ。きちんと整列された座席にみんなが座って、不自然なほどの暗闇の中、ただ口を開けて上を見上げるその姿を見下ろす光景を想像すれば、少しは俺の気持ちがわかると思う。星の輝きなんて言うものはそこには存在しない。あるのはそういう集団的な「教育」だ。暗闇の中に知性を求めて人々が集まる習性は幻燈機が生み出された時代から同じ。儀式的な香りの中には、いつだって洗脳という影がつきまとう。その規則正しさに気分が悪くなった。繰り広げられるちかちかした光。あれは遠い星の光、だなんてナレーションを誰が信じる? ぐるぐる回されて気分が悪くなって、結局一人で逃げ出した。映像がドーム型のスクリーンに映し出されていたからじゃない。幼心に怖いと思ったからだ。あの場所で味わった、空気が。
夜空というものに魅力を感じたことはない。星を見上げて微笑む女の横顔に、無条件でときめくほどロマンチストでもない。そう言ったらハチルさんは俺のことを危ないヤツだと真顔で言った。首をすくめて俺は答える。「宇宙の果てに何があろうと、俺は知ったこっちゃないですから」。
宇宙はとてつもなく孤独で、冷たくて重々しい、痛いくらいの静寂が包む空間だという。星は輝き、回って、一定の規律をすべて守っている。調和のとれた完璧な世界。優しくて深い黒があたりを覆い、理不尽な感情も、動物的な本能も通用しない。ただひたすらすべては規則正しく、完璧に、永遠に変わること無く、その闇を広げ続ける。膨張し続けていく。
「夜が怖いの?」
と、メアリーが笑いながら言う。
「宇宙はステキ。星はあんなに輝いて、手を伸ばせば掴み取れそうなのに、実際には一生かかってもたどり着けない場所にいる。800年かけて届いた光よ。ねぇ、ロマンチックだと思わない?」
雨の匂いのする熱帯夜の、じっとりとした空気がメアリーをなでた。俺は窓を閉めたかったのに、彼女はいつまでたっても窓辺に座って空を見あげていた。もう寝よう、メアリー。俺はベッドに入り、目をこすって彼女にそう言う。君が言ってるそのロマンチックな光の旅は、ある一定の自然の法則に則って起きる現象にすぎない。当たり前のことなんだ。
「あらそう?」
メアリーはいたずらっぽく笑い、俺を横目で見やってまた窓の外へ手を伸ばす。
「あそこに光ってる星。もう実際は死んでしまって、光っていないのかもしれない。タイムラグは800年もあるのよ。本当はもうあそこにはないのかもしれない。それでも、そんなに遠い遠い距離を長い時間をかけて、あの光は今私の目に届いてる。ちゃんと光ってる。それがステキなの」
もう実際は死んでしまって、と俺の頭は勝手にそう繰り返した。メアリーの髪が夜風になびく。カーテンが揺れて彼女を隠す。むらさきの夜空に灰色の雲が浮かび、彼女が指差す星が、俺には見えない。
死んでしまっているくせに、いつまでも執着し続けて、みっともねえ野郎だなと、ハチルさんがあくび混じりにそう言った。 驚いて横を見れば、座席に座って目をこすっているハチルさんの姿。天井には星空が広がっている。ニセモノの、光の、渦だ。気分が悪くなってきた。
「やめてくださいよ」
「だってそうだろ。あのメアリーだって本当はニセモノだ」
そう言ってハチルさんはスクリーンに映し出されたメアリーを指さす。彼女の青い髪が星にまみれて夏の夜風に吹かれ、天の川みたいになびいている。退屈そうに顎肘をつき、ハチルさんはじっとメアリーを見上げた。
「お前には眩しすぎる星だったな」
「やめてくださいって」
うんざりしてベッドから上体を起こす。部屋の隅、退屈そうなハチルさんの姿を睨むと、彼はただ肩をすくめてみせる。窓辺にメアリーは居ない。いるのはシシー。紫色の髪。小さな背中。空を見上げて歌う俺の天使。目を閉じて、深呼吸した。耳に届くのはきらきら星だ。シシーの舌っ足らずな声。ベッドから出て近寄って、後ろから抱き上げて、額にキスしようとして、指先が触れた途端に、俺はよろめいて下がった。シシーは歌うのをやめていた。代わりに泣いていたのは、メアリーと同じ青い髪の小さな女の子。ハチルさんが、いや、ハチルさんの声で、そいつは俺に文句を言った。
「見ろよ泣いてるぜ。お前たち二人が幸せだったら、その子も幸せなハズだった」
俺はそいつを掴んで、壁に押し付けた。女みたいに体が軽かった。中身が別人だとわかった瞬間に、壁に背中を打ち付けた衝撃で、彼は小柄な女の姿に戻る。びっくりした様子の彼女は、何するんだ、と、怒っているというよりは困惑したようにそう言った。
「彼女のことは俺しか知らない、誰にも言ってない、ハチルさんにもだ」
「そうだね、ハチルは知らない。でも、メアリーは知ってるだろ」
「メアリーは死んだ」
らしくない。らしくないが思わず声に力がこもった。
俺は星は嫌いだ。プラネタリウムも嫌いだ。メアリーも嫌いだった。
メアリーが好きだったものは全部、あの女が好んで俺に強要したものはすべて俺にとっての嫌悪感にしかならなかった。
「嘘だね」
楽しそうにリリスが言う。本当の女みたいにかわいく笑って、女みたいに平気で人を傷つける。
メアリーもそうだった。だから俺は、彼女の一言一言に喜んで、傷ついて、怒りを覚え、恨み続けた。
「俺は覚えてる。『鏡の前のあなた、カッコよくて好き』」
「黙れよ」
もう一度体を揺すれば、リリスは短く悲鳴を上げて、また何が楽しいのか頭のネジが外れたようにケラケラと笑い出した。
「俺に何したって無駄だよ。わかってるだろ、お前が見てるのはただの…」
「いい加減にしろリリス。お前をズタズタにしてモンスターに引き渡してやったっていいんだぞ。セカンドじゃ平気でも、ロベルタはお前をどう思うかな。サードでお前はお尋ね者なんだろ」
俺の脅しにリリスは一瞬嫌悪感で持って目を細め、それからわざとらしく口元を歪めて、女性らしい女性のようにしおらしく目を閉じた。それから無垢な少女のように微笑んで、俺が怒りで眉をひそめるのを笑いながら見ていた。
「無駄だよ。俺はアンタの過去を映す幻燈機。アンタの歪んだ脳内にきらきらした星を浮かべる映写機だ。星の光の輝きは遠く離れ、それでも有限で永遠じゃない。忘れるなよ転。いつでもプラネタリウムに来るといい。お前のために、特別なプログラムを組んでおくから」
隣の席に座ったリリスは、肘掛けに置かれた俺の腕に手を伸ばしてそう言った。
乱暴に腕を振り払えば、彼女は笑って席を立つ。
一人だ、と俺はぼんやり思った。孤独な世界。呆れるほど空っぽの空。そこには何もない。俺が見ている光は、一体どこから来ているのか。
星はもう皆死んでしまっていて、本当はそこには何もない。
宇宙はどこまでも続く闇の世界だ。
星は自らの命を燃やして光り、その命尽きる時に爆発して消える。
あの光は、星たちの命の光なの。
ああ、だったらメアリー、君が一番きれいだったのは、やっぱり、最期の瞬間だった。
お題:プラネタリウム #深夜の真剣文字書き60分一本勝負
夜空というものに魅力を感じたことはない。星を見上げて微笑む女の横顔に、無条件でときめくほどロマンチストでもない。そう言ったらハチルさんは俺のことを危ないヤツだと真顔で言った。首をすくめて俺は答える。「宇宙の果てに何があろうと、俺は知ったこっちゃないですから」。
宇宙はとてつもなく孤独で、冷たくて重々しい、痛いくらいの静寂が包む空間だという。星は輝き、回って、一定の規律をすべて守っている。調和のとれた完璧な世界。優しくて深い黒があたりを覆い、理不尽な感情も、動物的な本能も通用しない。ただひたすらすべては規則正しく、完璧に、永遠に変わること無く、その闇を広げ続ける。膨張し続けていく。
「夜が怖いの?」
と、メアリーが笑いながら言う。
「宇宙はステキ。星はあんなに輝いて、手を伸ばせば掴み取れそうなのに、実際には一生かかってもたどり着けない場所にいる。800年かけて届いた光よ。ねぇ、ロマンチックだと思わない?」
雨の匂いのする熱帯夜の、じっとりとした空気がメアリーをなでた。俺は窓を閉めたかったのに、彼女はいつまでたっても窓辺に座って空を見あげていた。もう寝よう、メアリー。俺はベッドに入り、目をこすって彼女にそう言う。君が言ってるそのロマンチックな光の旅は、ある一定の自然の法則に則って起きる現象にすぎない。当たり前のことなんだ。
「あらそう?」
メアリーはいたずらっぽく笑い、俺を横目で見やってまた窓の外へ手を伸ばす。
「あそこに光ってる星。もう実際は死んでしまって、光っていないのかもしれない。タイムラグは800年もあるのよ。本当はもうあそこにはないのかもしれない。それでも、そんなに遠い遠い距離を長い時間をかけて、あの光は今私の目に届いてる。ちゃんと光ってる。それがステキなの」
もう実際は死んでしまって、と俺の頭は勝手にそう繰り返した。メアリーの髪が夜風になびく。カーテンが揺れて彼女を隠す。むらさきの夜空に灰色の雲が浮かび、彼女が指差す星が、俺には見えない。
死んでしまっているくせに、いつまでも執着し続けて、みっともねえ野郎だなと、ハチルさんがあくび混じりにそう言った。 驚いて横を見れば、座席に座って目をこすっているハチルさんの姿。天井には星空が広がっている。ニセモノの、光の、渦だ。気分が悪くなってきた。
「やめてくださいよ」
「だってそうだろ。あのメアリーだって本当はニセモノだ」
そう言ってハチルさんはスクリーンに映し出されたメアリーを指さす。彼女の青い髪が星にまみれて夏の夜風に吹かれ、天の川みたいになびいている。退屈そうに顎肘をつき、ハチルさんはじっとメアリーを見上げた。
「お前には眩しすぎる星だったな」
「やめてくださいって」
うんざりしてベッドから上体を起こす。部屋の隅、退屈そうなハチルさんの姿を睨むと、彼はただ肩をすくめてみせる。窓辺にメアリーは居ない。いるのはシシー。紫色の髪。小さな背中。空を見上げて歌う俺の天使。目を閉じて、深呼吸した。耳に届くのはきらきら星だ。シシーの舌っ足らずな声。ベッドから出て近寄って、後ろから抱き上げて、額にキスしようとして、指先が触れた途端に、俺はよろめいて下がった。シシーは歌うのをやめていた。代わりに泣いていたのは、メアリーと同じ青い髪の小さな女の子。ハチルさんが、いや、ハチルさんの声で、そいつは俺に文句を言った。
「見ろよ泣いてるぜ。お前たち二人が幸せだったら、その子も幸せなハズだった」
俺はそいつを掴んで、壁に押し付けた。女みたいに体が軽かった。中身が別人だとわかった瞬間に、壁に背中を打ち付けた衝撃で、彼は小柄な女の姿に戻る。びっくりした様子の彼女は、何するんだ、と、怒っているというよりは困惑したようにそう言った。
「彼女のことは俺しか知らない、誰にも言ってない、ハチルさんにもだ」
「そうだね、ハチルは知らない。でも、メアリーは知ってるだろ」
「メアリーは死んだ」
らしくない。らしくないが思わず声に力がこもった。
俺は星は嫌いだ。プラネタリウムも嫌いだ。メアリーも嫌いだった。
メアリーが好きだったものは全部、あの女が好んで俺に強要したものはすべて俺にとっての嫌悪感にしかならなかった。
「嘘だね」
楽しそうにリリスが言う。本当の女みたいにかわいく笑って、女みたいに平気で人を傷つける。
メアリーもそうだった。だから俺は、彼女の一言一言に喜んで、傷ついて、怒りを覚え、恨み続けた。
「俺は覚えてる。『鏡の前のあなた、カッコよくて好き』」
「黙れよ」
もう一度体を揺すれば、リリスは短く悲鳴を上げて、また何が楽しいのか頭のネジが外れたようにケラケラと笑い出した。
「俺に何したって無駄だよ。わかってるだろ、お前が見てるのはただの…」
「いい加減にしろリリス。お前をズタズタにしてモンスターに引き渡してやったっていいんだぞ。セカンドじゃ平気でも、ロベルタはお前をどう思うかな。サードでお前はお尋ね者なんだろ」
俺の脅しにリリスは一瞬嫌悪感で持って目を細め、それからわざとらしく口元を歪めて、女性らしい女性のようにしおらしく目を閉じた。それから無垢な少女のように微笑んで、俺が怒りで眉をひそめるのを笑いながら見ていた。
「無駄だよ。俺はアンタの過去を映す幻燈機。アンタの歪んだ脳内にきらきらした星を浮かべる映写機だ。星の光の輝きは遠く離れ、それでも有限で永遠じゃない。忘れるなよ転。いつでもプラネタリウムに来るといい。お前のために、特別なプログラムを組んでおくから」
隣の席に座ったリリスは、肘掛けに置かれた俺の腕に手を伸ばしてそう言った。
乱暴に腕を振り払えば、彼女は笑って席を立つ。
一人だ、と俺はぼんやり思った。孤独な世界。呆れるほど空っぽの空。そこには何もない。俺が見ている光は、一体どこから来ているのか。
星はもう皆死んでしまっていて、本当はそこには何もない。
宇宙はどこまでも続く闇の世界だ。
星は自らの命を燃やして光り、その命尽きる時に爆発して消える。
あの光は、星たちの命の光なの。
ああ、だったらメアリー、君が一番きれいだったのは、やっぱり、最期の瞬間だった。
お題:プラネタリウム #深夜の真剣文字書き60分一本勝負
2014/07/28(Mon)
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