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「もしかして、また夜更かししてる?」

鯉壱はニヤリと笑って、キッチンから顔をのぞかせた。生クリームの乗ったプリンを食べるまで寝ないぞ、と心の中で繰り返していた言葉は、彼の鮮やかなピンクが目に飛び込んできた瞬間に消えた。

「鯉壱」
「何してるの?」
「…プリンを探してた」

嘘じゃない。けど、口に出した瞬間に恥ずかしくなる。もう寝なきゃいけないのはわかってる。明日も仕事あるし。早いし。やることもまだ残ってる。だけど、プリンがないからさ。

「プリン?」
「昨日買っといたやつ。鯉壱知らない?」
「僕食べてないよ」

鯉壱はそう言って肩をすくめた。私はもう一度、両開きになっている冷蔵庫の扉をあけて、白々しい光を放つ箱の中に頭を突っ込んだ。1段目、2段目、3段目。入っているのは、空気だけ。

「ハチコが食べちゃったんじゃない?」

ちゃんと名前を書いておいた?と鯉壱。名前を書かないと食べられちゃうよ。
鯉壱はソファによいしょと座り、リラックスした感じで遠くから私をしげしげと眺めているところ。私は振り返って、鯉壱の方を見た。

「そんなルール知らない」
「ハチコが食べまくるから僕が決めたんだ」

私に黙って?

「蜂散さん、プリンとか食べる人だっけ」
「冬前だからじゃないかな?」

鯉壱はのんきにそう言って、手元にあったクッションをお腹の上に乗せた。
私は諦めて冷蔵庫を閉めた。ぱたん、と小さく音がした。それから少し間を置いて、いうかどうか迷ったけど、結局口を開いた。

「ハチコは食べてないと思う」
「どうして?」
「最近見てない」
「僕は昨日見た」

ざくり、と鯉壱の声が頭の奥にしみる。見てない。私は見ていない。蜂散さんだけじゃない。鯉壱もそう。私、最近あなたたちのことがよくわからない。なぜかもわからない。何をしてる? 私の意識が届かないところで。
鯉壱は尻尾をゆらりと揺らして、しっかりした口調でそう言った。

「冷蔵庫を探してた。君と同じように。夜更かししてた。いやだなって言ってたよ。何が嫌なのかはわからない。君と同じで秘密主義。何に悩んでるかも教えてくれない。僕が解決できないことなのかも。でも、ねぇ、大丈夫? 最近疲れてる。ハチコは元気じゃないみたい。君はどう? まだ話せないの?」

鯉壱の口調は落ち着いていて、私は情けなくなった。
気持ちがしぼんで、なんだかやりきれなくなる。きっと夜だからだよね。夜更かししてるから。だからこんなに、不安なんだよね。そうなんだよね?

「わたし、」

口から小さく音が漏れる。頭の中はごちゃごちゃしてるのに、声にできるのはほんの少し。
限りない選択肢の中で、言葉にさえならない感情のうち、精一杯形にできたのはこれだけ。

「プリンが食べたかったのに」

鯉壱は何も言わない。私も何も言わない。プリンが食べたかった。プリンさえあれば。
気を紛らわせる何かがあれば。気持ちを切り替えて、明日からまた頑張ろって考える脳にさえなれば。アイテムはなんでもよかった。それさえできれば。

「生クリームが乗ったやつ」

食べたかったのに。やりたかったのに。一番になりたかったのに。
食べれなかった。やりたいこともしてない。一番にもなれなかった。
全然関係ないってわかってる。それでも悲しみと悲しみがくっついて、支離滅裂になった。
思うようにならない。何もかも。自分自身さえコントロールできないんだから、人なんて、当たり前だよ。

「泣くなよ、プリンぐらいで」

階段を登ってきた蜂散さんは、私がぽろぽろ泣いているのを見て空気が抜けたような声を出した。それから手に持ったビニール袋を私に手渡して、そのまま鯉壱の隣に座った。

「疲れてるねえ」

彼は笑ってそう言って、鯉壱に目配せした。

「プリンは手に入った。次はどうする?」

2017/10/12(Thu)
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